日常でかんがえること。

三十路・女性・元勤め人の私が日常でかんがえることを書きまとめるブログです。キーワード:就活、自己紹介、文例 が強いです。

友達って必要ですか?

私は一人でいることがわりと多い。
傍から見ていると「あの人大丈夫?」と思われるくらい。
しかし、一人でいても何とも思わないことが多い。
一人で飲みに行ってしまうし、買い物も一人で済ませてしまう。
一人仕事も好きだし、一人趣味も大好きだ。
そこに他人がいても、いなくても楽しい。
もちろん、他人がいて、会話があって、一緒に何かをするのも好き。
でも、それは必須ではなくて、あったらあったで良い感じ。
一人でも、楽しくなれちゃうのであった。

「君はさみしがりやではないのか?」と聞かれたこともあるが…。
恐らく、さみしがりやではない。
「なんで?人といると楽しそうなのに!」とも言われるが…。
そりゃ楽しいだろう。でも、一人でも楽しいことは間違いないのである。
そんな自分が「おかしいのか?」と悩んだりもしたのだが…
ついに私が「一人でも寂しくない」理由が判明しました。

一昨日から、クライアント先の現場の山を行き来している。
(まあ、そういうこともあるんですよ)
山の中だから、もちろん自然いっぱいだし、川も流れている。
畑もあれば、田んぼもある。
電波がつながらない(!)から、必然的にスマホも見ない。
目の前に広がる風景をボーっと見ていたら、突如思い出しました。

私、12歳くらいまで…
「にわとり(シャモ)と犬しか友達がいなかった」事実を…!

アンパンマンは「愛と勇気だけ」が友達で、でもそいつらって最強じゃん!!!

私、にわとりと犬だよ?桃太郎かっつーの!!!
この事実に気づいた時、私は山の中で大爆笑しました。

皆さんは大事な性格の形成過程に「ともだち」がいたのです。
私にはいなかったのです、マジで。
だから、「いたら楽しい、いなくなったら寂しい」という、喪失の感覚がないのでありますな、きっと。そもそも、「0」からスタートしているから、あったら嬉しい、なくても困らない性格になっているんだと思う。

ただ、「死」というのだけは、未だに慣れない。祖母や祖父が亡くなったのが幼少期ということもあり、すごく死に対してもクールだったはずだった。しかし、この年になって、「友達」が亡くなるという衝撃と言ったら、もう半端無くて、自分がどうしたらいいのか分からなくなる位だ。
それは、「友達」を失うということは、隣にある感覚が無くなるようなものだからだと思う。未だに、隣にある感覚を探してしまう。

今では、沢山の方が、私と関わってくださって、本当に感謝している。
そう、昔は「にわとりと犬」しか友達がいなかった私と(笑)
「友達が欲しい」とか「親友と呼べる人がいない」という悩みを、大人になっても抱えている人は沢山いるらしい。
私が考えるに、友達というのは、自分の欠損部分を埋めるためにいるのではなく、より高めるためにいるものなのだと思う。
欠損を埋めるのであれば、ビジネス的な関係でいいのだから。
「しょーがないなー」「まったくー」と言いながら、最後にニッコニコするためにいるものなのだ。